活薬のひと

インド在住研究員の薬学教育への思い

岡山大学インド感染症共同研究センター 教授(特任)、センター長
岡本敬の介 先生

【紹介】

 私が現在勤務している岡山大学インド感染症共同研究センターは、平成16年度に文部科学省で公募された「新興再興感染症拠点形成プログラム」で採択され、このプログラムを実践するためにインド、コルカタ市に設置された研究センターです。本センターは設立時から今日まで岡山大学の薬学系教員が主体となって運営されてきました。私のセンターへの着任は平成29年4月ですので、在印は2年間です。この2年間インドに滞在し、感染症、特にコレラ菌の研究を行ってきました。研究関係で海外に赴くのは、いわゆる先進国に赴くことが多いのですが、感染症の拠点の構築となると、「感染症が流行する地域に拠点を設置」ということですから、赴く先は感染症が流行する地域、すなわち衛生状態が改善されていない地域(あまり日本人が行きたがらない地域)ということになります。私も2年間、インドで生活させていただき、貴重な体験をさせていただいています。この欄では、ここで体験し、感じたことを述べさせていただきます。
 

【現地での研究の体験から】

 こちらから見ますと、やはり日本は豊かで、風土にも恵まれた国です。残念ながらこの地での研究体制は、日本のそれよりは劣っていると言わざるを得ません。国内で調達できる研究資材は限られており、外国から取り寄せなければいけない事が多々あります。時間もかかりますし、高額にもなってきます。ですから日本では当たり前に、何の障害もなく簡単にできたことでも、出来ないことが多くあります。現地でお世話になっている限り、「日本では云々―――」は禁句です。でも何とかそのバリアーを乗り越えなければいけません。しかも現地での研究センターですから、現地の人たちの協力も不可欠です。研究テーマも日本の利益のためだけのテーマでは協力は得られず、嫌われるだけです。何らかの形で現地に還元できることが、求められます。現地ではこれらの様々な事を考慮に入れながら、研究(事業)を展開する事が求められます。となりますと、こちらで出来ることを知り、それにあてはめて研究テーマを設定し、足りない箇所は創意、工夫で乗り切らざるを得ません。この創意、工夫が現地での研究ではより求められます。
 

【研究を発展させるための判断力】

 この創意、工夫ができる能力は、どの様にすれば身につけられるか、ということになるのですが、私はこの能力はやはり教育によって培われると思います。創意、工夫をするためには、そこに生じている事象の真理を知っていなければ、真の意味での創意、工夫は出来ないと思っています。最近は細菌学の分野でも、キットを使っての検定や物質(核酸等)の精製が多くなってきました。キットでは、「A試薬とB試薬を混ぜて、それにサンプルを入れて、―――――」と、マニュアル通りに手順を進めていきます。A試薬が何かを知らなくても、結果は出る様になっています。行なっている本人は操作さえ失敗しなければ、結果も出て、満足して、研究をした気分になります。しかし研究者(もしくは将来の研究者)としては、A試薬は何で、どの様な反応がそこで生じ、結果として何が出ているのかを知っておくべきです。これをさらに発展させ、A試薬はどの様な化合物か、その構造式は、特性は、さらにどの様な反応が生じているのかがわかれば、色々と応用が効く様になり、種々のデータを得る事ができるようになります。この様に物質や反応、生じた事象に対する科学的判断力を備えておけば、応用も効き、その応用が創意、工夫へとつながり、研究がさらに展開します。
 

【科学的判断力と薬学教育】

 科学的判断力は基礎力であり、「基礎知識」と「どの様になっているのだろう、ということを考える姿勢や思考過程」を体得していなければ、身につける事は出来ません。この基礎力の必要性は何も研究に限ったことではないと思います。薬を扱う薬剤師にとっても、大切な姿勢だと思います。薬の作用も「生体と化合物(薬)」の反応ですから、この生じている反応を理解するには物質(化合物)の知識と「どの様になっているのだろう」ということを考える思考能力の形成が必要とされます。この様な姿勢を身につけるためには、学生時代にしっかりとした教育を受け、その姿勢を生涯にわたり貫く事が必要だと思います。
 私はこの科学的判断力を身につけるためには、大学での実習が極めて大切であると思っています。紙に書かれていることを覚えるだけでなく、実際に手で触れ、目で見て、物質を実感し、そして卒業論文では「どの様になっているのだろう」といことを考える、すなわち真理を探究する能力や姿勢を身につけ、研究によってその事が解決できるのだということを実感させる事が、薬学教育では極めて大切ではないかと思います。この教育が行えないのであれば、薬学を大学教育で取り扱う必要はないと思えます。
 医療系学部の中では、唯一卒業論文研究を課している学部が薬学部と聞いています。これまで臨床も含む医学の研究領域で、薬学部の卒業生は重宝されてきました。これは学部での学生実習、卒業論文研究実習を行ってきた実績が、大きく貢献したのではないかと思っています。実習をする事は学部には大きな負担である事は分かりますが、将来の人材育成には必須な科目と思います。
 充実した学生実習が行える国は限られています。充実した学生実習が行えたとしても成果がすぐに現れるものでもありません。こちらにいますと、日本製品の質の高さには感嘆するのみです。この質の高さこそが日本を支えている原動力だと実感します。この質の高さは、日本の労働者の質の高さ、すなわち日本全体の教育レベルの高さに由来しているのだと思います。教育レベルが高いので、共同作業やチームでの仕事ができ、高い品質の製品を生み出し、それが今日の日本を築いてきたのだと思えます。
 薬は将来にわたって人々の生活には不可欠なものです。我々薬学関係者も、薬に関わるより優秀な人材を育成し、今以上に人々の健康に奉仕できる様にすることを考えなければいけないと、インドで働く、薬学関係者として実感しています。